岡田 寛昭Okada Hiroaki
20周年アニバーサリー STORY
06
INTERVIEW

ユーミーケア合併

PROFILEプロフィール
事業本部 東日本第2事業部 湘南第2ブロック長
事業本部 ライフエンディング事業準備室 室長代行
岡田 寛昭Okada Hiroaki
INTERVIEW
インタビュー

音楽畑にいた私が衝撃を受けて飛び込んだ、介護の世界。

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私は2013年12月にユーミーケアという会社に入社しました。ユーミーケアは湘南エリアで高齢者住宅を運営する会社でしたが、私が入社したのはそのユーミーケアが学研グループにグループインして間もないころでした。
ユーミーケアでは湘南エリアに多数の高齢者住宅を運営し、介護が必要のない自立の方や要介護の方、終末期の方などそれぞれに適したサービスを提供して、住み慣れた地域の中で最期まで暮らせるというCCRC(コンティニューイング・ケア・リタイアメント・コミュニティ)の取り組みを行っていました。このCCRCに大きな感銘を受けてユーミーケアの門をたたいたんです。
入社前はずっと音楽畑にいました。高校や大学で吹奏楽部を教えたり、自分でオーケストラ楽団をもってやっていたこともありました。

そんなとき義理の父が、食道の小細胞癌のためにホスピスで亡くなりました。そのときに看護助手として義理の父に接していた人たちが働く姿を見て、大きな衝撃を受けました。音楽の世界でいろいろと感じていたこともあって、思い切って介護の世界に飛び込んでみようと思ったのがきっかけです。
入社する2年ぐらい前から介護福祉士の勉強をして。ちょうど実務者研修の制度ができたばかりの頃ですね。入社して働きながら介護福祉士の資格を取りました。

毎日が無我夢中。ユーミーケアの現場時代。

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最初に配属されたのが「メディカルタウン湘南四之宮」という拠点です。「実務者研修を取るのであればすぐにサ責(サービス提供責任者)になってもらいたい」ということで、サ責のサポート業務をしていました。事務仕事や資格がなくてもできる業務ですね。 そこから別の拠点での勤務を経て、「デイサービス四之宮」で管理者になりました。デイサービス四之宮は要介護度の高い方に向けたデイサービスで、医療依存度が高かったり、寝たきりの方だったりが多く利用されていますが、そこで介護のイロハを学ばせていただきました。介護の現場ではとにかくいろいろなことが起こるので、毎日もう無我夢中でしたね。
所属している会社はユーミーケアでしたが、社長も役員も親会社である学研ココファンの社長や役員が兼務されていたり、ココファンと一緒に会議や研修を受けたりと、当時からいろいろと得るものは多かったですね。

なかでも特に印象に残っているのは、営業に関する研修です。病院やケアマネジャーさんに自社のことを紹介する営業活動を行うのですが、研修ではカバンの持ち方からパンフレットの出し方、訪問先での声のかけ方まで事細かに説明を受けました。私は営業なんてしたことがなくて、むしろ営業を断る側だったのですが、それを断られないようにするにはどうするか。相手にどう伝えるかとか、何を訴えかけるか。合理的なその考え方が音楽でやっていたことと通じるものがあってとても面白かったですね。
この営業ノウハウというのが、実は研修を担当していた役員が学研教材の販売担当をしていた時に身につけたもので、この研修は今も新任の所長研修でも行われています。この変わらない姿勢と言うのが凄いなと思いますね。

会社の合併は大きなこと。でも大変だとは思わなかった

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ユーミーケアに入社して2年が過ぎた頃、ユーミーケアが学研ココファンと合併するという時が来ました。入社した会社がなくなる訳ですから大きなことなのでしょうが、実は個人的には大きな衝撃や大変さみたいなものはあまりなかったですね。
現場でご入居者様の暮らしに向き合うことで一生懸命だったので。

新しい名称の看板掛け替え工事を「あぁ変わるんだなぁ」ってぼんやり眺めていたぐらいでした。あとは「ユニフォームが変わったな」とも思いましたね。前のユニフォームのデザインが好きだったので個人的には少し残念でしたけど、それぐらいでした。

大変だと思うことはあまりなかったのですが、その時とても印象に残っているのは、当時の社長の話です。拠点の運営は「人、物、金」の順番で必ずやるようにという話をしていました。一番大切にするのはご入居者様やスタッフのこと。次に大切にするのはモノ。サービスの質などですね。売上や利益といった「金」は一番最後という優先順位で取り組むようにと言う話です。
そして私が感銘を受けて入社のきっかけになったCCRCの話をすごく熱く語っていました。住み慣れた地域の中で自分らしく暮らし続けること。それを守るって力強く言っていて。「ユーミーケアと学研ココファンはそうした理念や想いが同じで、だから一緒にやっていきたいと思ったのでひとつの会社になりました」とも。だから自分も学研ココファンに共感できたし、ユーミーケアでやってきたことを大切にして、より一層組織として強くなるのだろう、というイメージを持てました。グループインや株式譲渡というのは会社として大きなことですし、正直離れていく人や不安視する声なども耳に入ることもありました。介護の業界に入って間もない私は、目の前のことで無我夢中だったというのもありますが、人・物・金の順番の話や理念を大切にするというのを本当にやっている嘘偽りのない会社だと感じたのです。
若い頃からの自分の信条として「言葉はすべて嘘と思う、行動こそすべて真実だ」という思いを持っています。やりたくないと言いながらもやっている人と、やると言いながらやらない人、どちらが信用できるのかと。まさに学研ココファンは、実際に大きな取り組みから小さなことまでしっかりと実行していて、それをみて言葉だけではないというのをすごく思いました。
だから自分もしっかり行動していかなければいけないし、中途半端でやめるようなことは絶対にしないと心に誓ったことをよく覚えています。

同じベクトルを向いていることの強さ

今はブロック長という立場になり、現場の一線から離れて寂しい思いもしています。介護の現場が本当に楽しかったですし、戻りたいと今でも思うことがあります。ちなみにその介護の現場で私が大事にしていたのは、どこを向いて仕事をするかという「ベクトル」でした。
介護の現場では大変なこともありますが、「自分はこんなにやっているのに」「自分はこんなに大変」と言うときはベクトルが自分に向いている状態だと思うのです。そうではなく「この人に幸せになってもらいたい」「周りの人に喜んでもらいたい」というように、優しさや愛情のベクトルを外に向けることを意識していました。
今はマネジメントの立場にいますが、職員の皆さんに対しても介護職としてはぜひ、優しさや愛情のベクトルを周りに向けて欲しいと思っています。もちろん自分自身と向き合わなくてはいけない時もありますが、ベクトルを外に向けて周りの幸せに取り組むことで自分も幸せだと感じられることが多いような気がしますね。
介護の現場ではマニュアル通りにやっても職員全員が同じケアや接し方になることはほとんどないと思います。それぞれのやり方があるし、やはり得意不得意も出てきます。でも根っこの想いが、みんな同じように「ご入居者様やご利用者様の幸せ」なのであれば良いのかなと。ベクトルが同じ方向に向かっていればいろいろな職員の人がいて良いですし、むしろたくさんの可能性が生まれるようにも思います。
学研ココファンとユーミーケアも元々はまったく違う会社でしたが、理念や「ご高齢者が住み慣れた地域で暮らし続けることを支援する」という根本の想いやベクトルが同じでした。きっと同じベクトルを向いている同士だったからこそ、私も違和感がなく学研ココファンの一員として新しい一歩を踏み出すことができたのだと思いますし、10年経った今も、変わらず同じ思いで働き続けられているのだと思います。

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