岩﨑 寛Hiroshi Iwasaki
椎奈 有可Yuka Shina
20周年アニバーサリー STORY
ストーリー

STORY

03
INTERVIEW

学研版
地域包括ケアシステムの
拠点が誕生!

代表取締役 兼CEO
PROFILEプロフィール
企画開発部
企画開発課
岩﨑 寛Hiroshi Iwasaki
ターニングポイントになった
拠点の開発。
そこから変わらないものと、
変わっていくものを大事にして、
この先の「新しい」をつくっていく。
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INTERVIEW
インタビュー

ターニングポイントになった
拠点の開発。
そこから変わらないものと、変わっていくものを大事にして、
この先の
「新しい」をつくっていく。

嬉しくて、ほろ苦い、
開発人生のスタート

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2010年3月、学研ココファン初の複合型拠点「ココファン日吉」が開業しました。
高齢者が安心して暮らし続けられる住まいと、地域住民の多世代交流の場になることを目指した拠点です。サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)に、訪問介護と居宅介護支援、デイサービス、ショートステイなどの事業所と、学研教室(学習塾)やクリニックを併設しています。
このココファン日吉こそ、私の開発人生のスタートでした。
でき上がったココファン日吉を見ながら、それまで拠点開発を担ったことのなかった私が無事に一つの拠点のオープンまでたどり着けた嬉しさと、会社が目指す理想の建物にはまだ程遠いという悔しさで、ぽろぽろと涙が止まらなかった寒い冬の日を今でも覚えています。

右も左もわからないままに、
建物の開発担当に

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私の最初の就職先はピザ屋でした。大学時代のバイト先だったのですが、そのまま社員に。他にも、結婚を期に学研ココファンに入社するまでは、いくつかの職を経験しました。介護の世界に興味を持ったのは、母親がケアマネジャーだったから。その中でも学研ココファンへの入社を決めたのは、「学研」のブランドに惹かれたからです。2007年1月、29歳の時でした。

訪問介護の管理者候補で入社し、2つの現場勤務を経て本社に異動しました。冗談だとは思いますが、「元ピザ屋」という経歴から企画開発部での厨房や食事の管理担当を任され、ミールの商品開発や外販の営業などをしていました。
そうするうちに、学研グループ内の人事異動などもあって、企画開発部が私ともう1人になってしまって。拠点開発担当が不在になったことで、私が建物の開発になったのです。そして初めて任されたミッションが、「ココファン日吉」でした。

開発を任されたとき、意外と不安はありませんでした。甘く考えていたのでしょうね。「やるしかない」と思いつつ、業務内容についても「設計図通りに建設が進んでいるかどうかをチェックすればいいだけだろう」程度の感覚でした。
でも実際に現場に行ってみると、そもそも建築用語がわからず。当時は教えてくれる先輩もいませんでしたから、メモしてあとから調べたり、設計士さんや建築現場の監督さんに教えてもらったりと、必死に勉強しましたね。

ゼロからつくっていった、
「ココファン独自」の建物

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当時はまだ社内の建物開発ノウハウも少なく、ひとつひとつゼロから作ることがすごく大変でした。例えば電気のスイッチの高さを「このくらいで良いか」と感覚で決めてしまっていたところも多くあって。その結果、現場の職員から「何でこの位置にスイッチがあるのですか?」「ここにあると困ります」とかなり言われました。私自身も現場で働いた時に設備の使いづらさを感じたことがあったにもかかわらず、そういうことを何気なく行っていたことを悔しく思いました。

ココファンの建物仕様は、コンセントやドアノブの位置などの細かいところから、食堂や階段の配置などに独自の工夫を取り入れています。これによって、スタッフの動線を最大限まで効率化して業務をしやすくすることはもちろん、業務改善によって削減できたコストを家賃設定に反映し、入居しやすい価格を実現しています。
これは、建物における設備の高さや部屋の配置などの様々な基準をひとつひとつ検証し、実際に座ったり寝転がったりしながら、時には運営事業部(=現事業本部)と激しく議論しながらブラッシュアップして作り上げたものです。と同時に建物には二つと同じものは無く、土地や予算の制限がある中で、その方法や設備を変えながらも目的を達成できるよう、工夫とアイデアの繰り返しの日々でもありました。
私もココファン日吉のオープン以降、絶対にその前の拠点よりも使いやすく、住みやすく変わっていることを目指し、必ずアップデートを心掛け「昨日より今日、今日より明日」半歩ずつでも成長した物件開発を目指しました。
そういった意味では、今のココファンの建物仕様のベースに関わることができたことは、私の誇りです。
そして建物や設備はただの「物」ではなく、その意味や理由を言語化できることが重要ですし、それを実際に利用されるご入居者様や職員に伝えることこそが開発担当者としての責務だと感じています。

ココファン日吉から、風向きが変わった

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日吉の開業によって、業者さんや不動産建築関係の方のような世間からの見方も大きく変わりました。その一番の要因は、ココファン日吉が「サービス付き高齢者向け住宅」制度化のモデルになったことです。「有料老人ホームではなく、平均的な年金受給者が必要なサービスを受けながら、地域の中で安心して住み続けられる」モデルとその趣旨に、当時の政府が賛同。平成23年に「高齢者住まい法」が改正されました。国の施策として、高齢者が安心して住み続けられる住まいを世の中にふやしていく制度が誕生したのです。このサービス付き高齢者向け住宅の制度化(高齢者住まい法の改正)について、当時の大臣がココファン日吉で記者会見をおこなったのですが、これ以降、ココファンのサ高住が大きな注目を集めるようになりました。
開発についても一気に風向きが変わりました。それまではこちらからアプローチしてもなかなか相手にしてもらえなかった相手から、連絡をもらうことなどが増えて。物件の情報も月に300件ほど入ってくるようになり、必死になって対応していたのを覚えています。

その頃、学研ココファンは「年間20拠点のサ高住開発」という事業拡大の計画を打ち出しました。正直、驚きました。まだ開発担当は私1人でしたから。でも私は「経営陣についていきます!」状態の人間なので、とにもかくにも必死にやりました。その結果、2年連続で20拠点のサ高住オープンを実現することができたのです。
今では想像もできないほどに忙しい毎日でしたが、ココファンのことが好きで、世の中のためになると心から信じていました。そんなココファンを世の中に広めたい、そういう思いに突き動かされていました。もちろん、それは今でも変わっていません。

変わらないチャレンジ精神で、この先の「普通」を新たにつくる

そんなココファン好きの私ですが、実は2012年に一度ココファンを退職しています。理由はいろいろとありましたが、別な場所で自分の力を試してみたいと思ったことがひとつのきっかけでした。でも別の会社で働いていても、ずっとココファンのことが気になっていました。どんどん拠点が増えて、会社も大きくなって。すごいな、という気持ちとともに、自分がそこに関わっていないという悔しさを感じていましたね。それで、またいろいろとあったのですが、結局3年前にココファンに戻ってきました。退職前と変わらず、開発の仕事に携わっています。

ココファンに戻ってきて思うのは、チャレンジ精神の強さが変わっていないということです。会社立ち上げの頃と同じように、組織が大きくなった今も、新しいこと、良いと思ったことには迷わず挑戦するベンチャー気質は変わっていないと感じます。とても感慨深いですね。
もちろん、良くも悪くも組織が大きくなったことによる変化もあると感じていますが、「高齢者の方が住み慣れた地域の中で安心して暮らし続けられる」という同じ目的に向かって、学研ココファンで働くすべての人が一体感を持っていけると良いと思います。

今後の目標として、17年前に私の開発人生がスタートしたときから言われてきた「常に10年、20年先に支持される物件を作る」ということに挑戦し続けていきたいと思っています。恐らく20年先、老後の過ごし方は今と変わっているはずです。そうした世の中の流れを見据えたものを作っていくことが、ココファンの使命のひとつだと思います。リサーチに基づいた仮説をたてて、どんどんチャレンジングな物件を作っていきたいですね。

ココファン日吉がオープンした時、開発がずっと裏方だったことが、実は当時悔しかったのです。けれど、そういう裏方の仕事が会社にとっては大切な役割であることを、学研ココファンを離れて自身で会社を経営したときに実感しました。その時から、裏方であっても会社を支えている、そういった自信とプライドを持てるようになりましたし、自分の作った物件のご入居者様や職員の方々が笑顔でいるのを見ることが何よりも大きな喜びです。
今はむしろ、開発は花形だと言われると絶対に否定したいですね。開発は、建物を使う人や地域、社会にとってより良い場所をつくっていく「縁の下の力持ち」として、これからも貢献し続けたいと思います。

元取締役社長
PROFILEプロフィール
ココファン川崎高津
事務スタッフ
椎奈 有可|Yuka Shina
事務職として福祉業界への挑戦。
この先も事務だからできる仕事で
貢献を。
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INTERVIEW
インタビュー

事務職として福祉業界への挑戦。
この先も事務だからできる仕事で貢献を。

たくさんの人が関わっていた
「ココファン日吉」。

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私が学研ココファンに入社したのは2010年。「ココファン日吉」のオープニングスタッフとして働き始めました。前の仕事をしていたときに医療や福祉の分野に興味を持ったのですが、事務職であれば今までの経験を活かしつつ、興味のある分野に関わることができるかなと思ったことがきっかけです。そこからずっと、事務ポジションひとすじですね。

私が働き始めたオープン前、ココファン日吉には毎日多くの方が来館していました。入居を検討している方から、取材の方、行政の方など日々多くの方が出入りしていました。高齢者住宅の新しい形のモデルとして、各方面から注目されていたからだと思います。ココファン日吉はサービス付き高齢者向け住宅・ショートステイ・デイサービスと、提供サービスが幅広いのですが、事務の立場としては作成する契約書の量がとんでもないことになっていて。とにかくお客さまの入居やサービス利用の準備に奮闘していました。
オープンしてからは、ココファン日吉が地域コミュニティの場になっていくのを実感しました。例えば近くのお米屋さんには、ご入居者様はもちろんスタッフも買い物に行く機会が多く、「今日は〇〇さんいらっしゃいましたよ」とか「ココファンの△△さんね」と「ココファンの人」として認識してくださっていました。自然と地域の方との関係を築いていたと思います。
取材が入るときにはとても緊張しましたが、いつも一緒に働いている所長が取材を受けてテレビなどに出ているのを見て、「自分はすごいところで働いているのだな」と感じることも多くありました。当時の厚生労働大臣がいらっしゃったのもよく覚えています。テレビで特集されたあとは本当に電話が鳴り続けて、専用の問い合せ一覧を作っていたほどでした。

スタッフと会社とのつながりが、
働き続けられる理由。

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私は介護業界で働くのがまったくの未経験でしたので、まずはスタッフの皆さんが持っている知識をできるだけ吸収すること、そして少しでも事務として力になれることを増やしていきたいという気持ちで仕事をしていました。幸いココファン日吉にはデイサービス、ショートステイ、居宅介護支援事業所、訪問介護とさまざまなサービスが揃っていたので、わからないことはとにかく聞いて、勉強させていただいていました。
当時ココファン日吉の所長だったのは、私と1学年しか年齢が違わない方でした。でも、私が出会ってきた同年代の人たちのなかでもダントツに落ち着いていて、肝が据わっていましたね。各チームをきちんと独立させて、いい意味で任せてくれる。でも最終的に何かあった時の砦は所長という構造を作ってくれたので、とても働きやすかったです。所長だけでなく、目標にしたいと思えるスタッフの方たちばかりで、いつも気づきや発見がありました。ココファン日吉で出会ったスタッフの方とは、それぞれ環境が変わった今でも親交があります。

15年近くココファンで働いていますが、今まで続けてこられたのは、ココファンが柔軟で、新しいことにチャレンジする会社だったからだと感じています。家族の転勤が決まって退職を考えたときに、転勤先である京都の拠点への異動を提案していただいたり、異動した京都でも新しい働き方を経験させていただいたり。与えていただいた機会に対して、少しでも恩返しをしたいという気持ちはいつも心の片隅にありますね。
日吉のオープンの際、本社の社員が直接日吉に来て、事細かに事務の仕事を教えてくれました。私は京都に異動したときに3拠点のオープンに関わらせていただいたのですが、そのおかげで京都の各拠点でも、日吉のときと同じように細かく必要な業務をお伝えすることができました。今の勤務先である「ココファン川崎高津」がオープンするときも同じで。人を育てていくという点では、ココファン日吉の経験からずっとつながっていると思います。

変わっていく会社で、
自分ができることを考える。

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もちろん日吉のオープンから14年、会社の成長で大きく変わった部分もたくさんあります。拠点の拡大ベースの速さについては、私も全部は把握しきれていません(笑)。広島にも、北海道にもあるんだ!と知るたびに驚きながら、新しい土地の地名が出てくるたびに感心しています。
私の地元にもココファンがあるのですが、すぐ近くに友人が住んでいます。私がココファンで働いていることを知っているので、「あそこのココファンって、椎奈さんが働いているのと同じココファン?」と聞かれました。近所でとても評判がいいと教えてくれたのですが、とても嬉しかったですね。

今までに事務の方を何人か指導させていただいて、ありがたいことに今でも働いてくださっている方がいらっしゃいます。今後も「事務経験」を強みに、新しい拠点のオープンの際に、新しい事務の方にココファン事務の仕事をお伝えすることや、所長のサポートになるような仕事ができればと。ココファン日吉をはじめ、今まで私が培ってきたもので、会社やお客様のお力になっていけたら良いなと思います。

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